轟悠さんを想う~2021年星組公演「婆娑羅の玄孫」~
人生で初めて東京宝塚劇場に足を踏み入れた日。煌びやかなロビーと漂う非現実感に圧倒される私に、友人がスッとどらロールを差し出してくれた。甘くてしょっぱいそのお菓子をかじりながら、一体どんな世界が繰り広げられるのか、ドキドキしながら開演を待つ。上がる緞帳。そこに出てきた、スーツをびしっと着こなした、甘く力強い歌声の紳士。本物の男性にしか見えない。ただ一人、圧倒的な存在感を放ち舞台に生きる人。轟悠さんである。
そんなことある訳ないのに、今までの私は、轟さんはずっとずっと宝塚歌劇団にいてくださると信じて疑わなかった。だからこそ、退団が発表された時は心底驚いたと同時に、宝塚にとってとても尊い歴史がまた一つ幕を下ろすのだな、というもの寂しい気持ちになった。初観劇の主演が轟さんだったことで、勝手な思い入れというか、薄っすらと特別な想いを抱いていたから尚の事だ。そんな轟さんの最後のお芝居「婆娑羅の玄孫」。ヅカオタ歴の浅い私なんぞが轟さんについて語るなんぞおこがましいけれど、折角観劇出来たので語らせていただきます。
とにかく驚いたのが、幕開き、たった一人舞台に立っている轟さんが笠をとったその瞬間、涙が溢れて止まらなかった。清く正しく美しくを具現化したようなその佇まいに胸が震え、あまりに格好良くて、気付いたらボロボロと泣いていた。かと思えば、お芝居ではお茶目であたたかいお人柄が溢れていて、はるこさん(音波みのりさん)演じるお鈴との掛合は楽しくて可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。お互い想い合っているけれど伝えられない、ムズキュンな関係がたまらなく愛おしい。また、本当は大名の息子という身分の高い人でありながら、長屋の人々とも心を通わせ、子供たちからも慕われる「石先生」というお役が、ほとんどの出演者が自分の半分以下の学年であるにも関わらず、謙虚に優しくあたたかく後輩たちを導く轟さんご自身のお姿と重なる。その度に胸がギュッとなって、涙がこぼれて、一幕の時点でだいぶマスクを濡らしていた。
しかし、二幕の方がとんでもなかった。父との確執から武家屋敷に戻る事を頑なに拒む蔵之介(轟さん)が、自分との縁を切った父の本当の想いを知る場面。彦左(汝鳥伶さん)の口から語られる、父の愛。その言葉ひとつひとつに心を動かされ、屋敷に戻る決心をする蔵之介の表情を見ていたら、涙腺が壊れてしまった。無理。こんなの泣かずには見られない。しかし、その後の大立ち回りで涙が引っ込んだ。美しくて力強い立ち回りに見入ってしまって、涙なんかどこかへ行ってしまったと思ったら、その後ですよ。長屋の面々とのお別れの場面。長屋の面々からの言葉、そして蔵之介からの言葉、全てが「轟さん退団」という今のこの状況にリンクして、私の心は悲鳴を上げ、ジブリかってくらいに大粒の涙がボロボロ出てくる。そして、もうこれがピーク、これ以上は泣けない、と思っていたのに第三波はやってくる。蔵之介と彦左、二人だけの場面。彦左さんのセリフは全て、これから未知の世界へ旅立とうとしている轟さんへの植田先生からのエールなんだろう。そう思ったらもう干からびるんじゃないかと思うほど泣いて、マスクはびしょびしょで、息をするのも難しいくらいだった。お二人の作られる空間がとにかくあたたかくて、轟さんと汝鳥さんの絆を強く感じられる場面。大阪まで行った甲斐があった、と心から思える素晴らしい場面だった。そして、幕が下りる瞬間も、舞台上には轟さんお一人。しかも後ろ姿。36年間男役を極め続けた轟さんの最後が後ろ姿なんて、粋だし格好良いしもう言葉にならないくらいの感動だった。
ご本人が希望されていたという日本舞踊のシーンもとても素敵だった。日本舞踊について本当に無知なので稚拙な表現しか出来ないけれど、神田祭りの「かっぽれ」は楽しくて楽しくて…ものすごく体力を使う、ショーの一場面くらい大変、と仰っていたけれど、そんな大変さは微塵も感じない。本当にすごい。二幕頭の山神も、かっぽれとは全く違う、荘厳な佇まいが印象的だった。立ち回りも日本舞踊もお芝居も素晴らしくて、観ることが出来て本当に本当に幸せだった。
私が生まれる前から男役として生き、私が宝塚を見始めた頃にはもう専科のトップ・オブ・トップとして君臨していらっしゃった轟悠さん。初観劇のあの日、大きな羽根を背負って大階段を降りてこられる轟さんをこの目で見ることが出来たという事実は、私のヅカオタ人生の中でもとても誇らしく宝物のような思い出だ。そして、こうして最後の舞台を拝見出来たということもまた、宝物。ありがたいことに東京公演も見ることが出来るので、しっかりとこの目に焼き付けたい。どうか、どうか東京の千秋楽まで無事にたどり着けますように。