誰のために踊っているのか~2023年星組公演「1789―バスティーユの恋人たち―」~
マクシミリアン・ロベスピエール、カミーユ・デムーラン、そしてジョルジュ・ジャック・ダントン。同じ未来を追いかけていたはずの彼らが道を違えてしまうのはどうしてなのか。彼らは一体誰のために踊っているのだろう。
「1789」の物語の中では、彼らは一見同じ道を歩いているように見える。ただ、それぞれのお芝居から、決定的な違いを感じてしまう。極美慎さん演じるロベスピエールにとって、革命とは「理想」のためのものであり、天華えまさん演じるダントンにとって、革命とは「人」のためのものであるように見えるのだ。確かに、「理想」には「人」も含まれている。一人の人間の幸福、権利、自由。例えば、ロベスピエールがもっと「一人の人間」にフォーカス出来ていれば、恐怖政治という悲劇は起こらなかったのかもしれない。しかし、いつしか彼は内包された「人」が見えなくなり、「理想」だけを追い求めて粛清を始めるのだ。
マラーの印刷所の場面が分かりやすい。「裕福なお前たちに貧しい俺たちの気持ちが分かる訳がない」と憤るロナン(礼真琴さん)に対して、彼らの向ける表情はそれぞれ違っている。ダントンは分かり合おうとしているのだ。完全な理解は難しいと承知した上で、それでも理解し、理解されるために印刷所のメンバーに「俺たちを分かってほしい」と語り掛ける。しかしロベスピエールはどうか。ロナンの発言に怒り、掴みかかろうとしたところをダントンに抑えられ、振り払うと同時にダントンをきつく睨むのだ。差し伸べた手を払いのけるようなロナンの言動は、彼の「理想」にそぐわない。彼の頭に一瞬過っただろう。「粛清」か「矯正」が必要であると。「俺たちを分かってほしい」と、まるで投げつけるみたいに言葉を放つ。これだけの思想の違いを抱えながらも共に革命の兄弟として活動してこられたのは、王政という彼らにとっての絶対的な悪と、ダントンのバランス感覚の良さ、そしてデムーラン(暁千星さん)という中庸な存在があったからかもしれない。ちなみに中庸ピュアボーイのデムーランくん、この場面でロナンに反発されて傷付いてしょんみりしている。かわいい。
そう考えると、ロベスピエールの根っこの部分は、力によって人を押さえつけようとするペイロール伯爵(輝月ゆうまさん)と近いのかもしれない。そしてそういう人間が権力を持つと、多くの人を傷付け殺すようになる。結局「一人の人間」は見えていないのだ。ロナンだろうがデムーランだろうがダントンだろうが、ロベスピエールの抱く「理想」の前では大海の藻屑に過ぎない。今は同じ道の上で同じ未来を追いかけていると思っていても、すぐ先の未来でその道が分かれていたことに気付く。分岐点があった訳ではないのだと思う。最初から違う道を歩いていたのだ。「王のためには踊らない」ことが「同じ目的で踊っている」につながる訳ではない。彼らはまだそのことに気付いていないのだけれど。
彼らより先の時代を生きているのだから、当然彼らの物語の結末を知ってしまっている。絶対的な悪を失った彼らは対立を余儀なくされ、全員ギロチンにかけられ散っていく。そんな未来が背後に見え隠れするものだから、お芝居のラスト、「悲しみの報い」で、三人が手を重ね、肩を組み、この上ない笑顔で声高らかに歌っている姿を見て、どうしようもなく切ない気持ちになる。なんかもう本当に…あんな可愛い笑顔見せられちゃうとさ…。なんでだよ…歌い続けよう永遠にって言ったじゃん…お前たちの永遠ってたった5年なのかよ…なあ教えてくれ……という気持ちになる。未来に希望を抱きながら歌い踊る彼らを見て、ただただ涙を流すのだった。