美しく咲き誇り、潔く散る~2021年月組公演「桜嵐記」~
珠城りょう3Days Special Live「Eternita」を観ていた時、ほとんどの歌を珠城さんと一緒に口ずさんでいる自分に驚いた。どの作品の、なんという歌かも分からないのに歌えることに、「まさか前世の記憶…!?」などと戦慄し、しかしその直後にアーサー王伝説の「私は誰?」だと気付いた時には我ながらバカバカしくて笑ってしまった。しかし裏を返すと、前世の記憶と勘違いする程に私の脳と心の奥深くまで浸透し息づいている、それが私にとっての珠城さんの舞台なのだ。
珠城さんが月組トップスターに就任した頃、私は愛希れいかさんに大いにハマっていた。故に愛希さんの舞台を観る=珠城さんの舞台を観るということになり、観れば観るほど珠城さんのことも好きになっていった。力強くて潔く、爽やかで情熱的、あたたかく包容力のある男役さん。珠城さんの舞台に対する実直さを見るにつけ、舞台人としてのみならず、人としても魅力溢れる素晴らしい方なのだな、と惹かれていった。
珠城さんのサヨナラ公演「桜嵐記」。予想はしていたけれど、大泣きに泣いて干からびそうな程だった。幕開きは光月るうさん演じるとある老人の語りで時代背景が説明され、その最後に、珠城さんが歩いてくる。スポットライトは当たっておらず、しかし圧倒的に輝いているそのお姿を見た瞬間、涙が止まらなくてどうしようもなかった。己の命を今まさに全うしようとしている楠木正行というお役と、退団者特有の眩い輝きを放つ珠城さんの姿がピッタリと重なって、あぁ、本当にこの方はいなくなってしまうのだ、と胸が締め付けられた。幕が上がってものの数分でこれだ。
次に爆泣きしたのは、雑兵を助ける場面。敵対する北朝の兵にすら慈悲を与える懐の深さは、正行様なのか珠城さんなのか分からなくなるくらい、珠城さんらしいなと思った。戦をしたかった訳じゃない、ただお金のために雇われただけの雑兵の未来を守るために、傷の手当をして食事も与える。正行様の優しさとともに、彼の胸にある「何のために死ぬのか」という父の言葉が、そういった行動を彼にさせているのではないかと思う。死は生の延長上にあるもの。どう生きるかが、どう死ぬかにつながる。雑兵たちは戦のために死ぬ気などなかったはずなのだから、生かして帰し、その先をどう生き、そして死ぬのかを己の意志で決めさせるべきである。敵味方関係なく、相手を「一人の人」として見ている正行様は、珠城さんそのもののような気がした。そして、四条畷の場面。正行様の弟、正時様(鳳月杏さん)が亡くなる場面など、珠城さんが初めて主演を務め、今作の脚本・演出の上田久美子先生のバウホールデビュー作である「月雲の皇子」のクライマックスと重なって、胸が苦しくて仕方なかった。「月雲の皇子」では珠城さんが鳳月さんの腕の中で亡くなったので、正確には逆なのだけれど、それでも、あの場面と重なって苦しかった。
最後の立ち回りは、まるで映画を見ているようだった。本舞台上ではスローモーションで展開される立ち回り、銀橋では子供の頃の思い出がよみがえる…。上田先生のこういった演出は「泣かせにきているな」というのが分かってはいるのだけれど、まんまと泣いてしまうのだ。ボロボロの体で、末弟・正儀様(月城かなとさん)に想いを託して絶命する正行様。次期トップスターへバトンを渡すようなこの場面もまた泣ける。冒頭に出てきたとある老人がこの正儀様と分かり、彼は正行様の想いを胸に長く生きてくれたのだと分かってまた涙が出る。また、雑兵の一件で正行様に惚れ込み、彼の元で働くことを決めたジンベエさんが、あの日弁内侍様を守るよう正行様から命ぜられてから、何十年もその言葉と想いを守っていたのだと分かり、心があたたかくなった。死してもなお、意志を継ぎ未来へ繋げてくれる人がいる。正儀様や弁内侍様、ジンベエさんは、未来への希望のような存在だと感じた。
物語のラストは時間が戻って四条畷に行く直前、出陣式の場面。後村上天皇の「戻れよ」という台詞がとても切ない。上田先生の作品はそういうものが多い気がする。最後の最後で切なさや寂しさを残していくのだ。そこがとても好きで、珠城さんのお芝居との親和性も高くて、だからこそ、珠城さんの退団公演が上田先生の作品で良かったな、と心底思った。
私が珠城さんを認識したのはいつだろう。恐らく「PUCK」だ。当時研7の珠城さんは、初演で天海祐希さんが演じられたボビー役をされていて、私は何の疑いもなく、「次のトップスターはこの人だな」と思ったことを今でも覚えている。記憶力の乏しい私の中でそれだけ鮮烈に記憶に残る程、珠城さんはあの時点でスターだった。そして、研9という若さでトップとなったその重圧はいかばかりか、私には想像することしか出来ないけれど、きっとその想像を優に超える辛さや苦しさもあっただろう。トップに就任したての頃、その真面目さ故に「トップとしてこうあらねば」という想いに捕らわれどこか窮屈そうだった珠城さん。そんな珠城さんが、今、とても自然に、肩の力を抜いて舞台の上で桜の如く咲き誇り、嵐の如く駆け抜け、そして美しく散っていく姿をこの目で見ることが出来たのは、とても幸せだった。千秋楽のライブ配信も見る予定だけれど、大丈夫かな。翌日仕事に行けないくらい目がパンパンに腫れてしまうかも。