せめて船があったなら~2022年星組公演「王家に捧ぐ歌」~

「王家に捧ぐ歌」。正直、あまり好きな作品ではなかった。これは受け取る側の私の問題なのだけれど、薄暗くて、登場人物の誰にも共感出来ないまま終幕、というイメージが強かった。ただ、贔屓(天華えまさん)を見たい。そんな軽い気持ちでおいそれと名古屋行きを決め、見事エジプトに骨を埋めてまいりました。まさかこんなに感情移入が出来るとは。しかもそれが誰かひとりだけじゃなくて、あの人の気持ちもこの人も気持ちも分かる。分かるからこそ対立や衝突がこの上なくやるせない。それぞれのこれまでとこれからを思うと胸が苦しくて、涙が溢れてくる。あぁ、とんでもない作品に出会ってしまった。

エジプトの将軍・ラダメス(礼真琴さん)とエジプトに囚われたエチオピア王女・アイーダ(舞空瞳さん)の愛の物語。宝塚で上演されるのはこれで4度目、大曲ばかりの壮大なミュージカル。礼さんと舞空さん、そしてもう一人のキーパーソン・エジプト王女アムネリス役の有沙瞳さんの歌、そして明らかにパワーアップしている星組のコーラスで聞く名曲の数々は圧巻で、それだけでチケットの元が十分取れるというか安すぎる。もっとお金取ってって思うくらいのクオリティ。そこに物凄まじいお芝居とダンスまで乗っかってるんだからもう価格破壊も良いとこ。ありがたいことこの上ない。

今回は演出変更に伴い衣裳やセットも一新され、新たな「王家に捧ぐ歌」の誕生でもあった。先行画像が出た時、多くの人から賛否の声が上がっていたのも無理はない。だって今までと全然違うから。金ピカの鎧を着ていたはずのラダメス将軍が、真っ白なVネックのシャツの上に真っ白なライダースジャケットみたいなの羽織ってるから。そんな格好で戦に赴くつもりか?と思われても仕方ないし、あの金ピカなくして「王家に捧ぐ歌」たらしめることが出来るのか、と多くの人が疑問に思っただろう。

結論。全く問題なかった。流石に戦場の場面、階段の上で聖なる剣を金属バットよろしく肩に担いで登場するラダメス将軍を見た時には「カチコミのヤンキーか???」と思ったけれど、それくらいなもので、やっぱりお芝居も歌もダンスもこれだけクオリティが高ければ、どれだけ見た目の要素をそぎ落とそうと作品として成立するんだなあということを思い知った。むしろ、あれだけシンプルな衣裳だったからこそ、役者さんのお芝居がより一層際立ったように思う。

今回の演出変更で、私が最も心を揺さぶられたところ。船が無くなっているところだ。別に私は船オタクではない。しかし、これがあるのとないのでは作品から受け取る印象が全く違うものとなる。私は、あの船の重要性に気付いていなかった。

これまでの演出では、物語の冒頭とラスト、ラダメスとアイーダが船に乗って登場していた。しかし今回、船はない。冒頭、折り重なって死んでいるラダメスとアイーダがセリ上がりで登場し、ラストも二人が絶命し冒頭と同じ形に折り重なって終幕。これまで登場していたあの船は、お互いへの想いを確かめ合った二人が歌う「月の満ちる頃」の歌詞に出てくる船であろう。「月の満ちる頃あなたと私を乗せた船は、ナイルを下り海へと漕ぎ出し」お互いの“国というしがらみ”から解き放たれ、二人で生きていこう、と誓う歌だ。特に冒頭、この船に乗ってどこか遠くを見つめるラダメスとアイーダを見れば、「二人は亡くなったけれど、魂はあの船に乗って、ナイルを下り海へ漕ぎ出し、見知らぬ国へたどり着いたのね。」という都合の良い解釈に“希望”と名付けてギュウッと抱きしめ、この物語はハッピーエンドなのだと納得することが出来る。

しかし今回、私は見てしまった。彼らの魂が消えていく瞬間を。そして気付いてしまった。登場しなかったあの船こそ、希望の象徴だったのだと。船が登場しなかったことで、彼らの魂はどこへ行くでもなく、ただ美しいまま消えていく。なんて哀しい。そしてもう一度この作品を見る時、二人が絶命したあの瞬間からまた物語が始まる。同じ時間を辿り、また折り重なって死んでいく。途切れることのない時の輪の中に永遠に閉じ込められたかのように。「光はなかった。出口はなかった。」ラダメスの歌声が頭の中で響く。これが絶望だ。

今でもふとした瞬間に私はこの時の輪の中に閉じ込められる。アイーダの兄・ウバルド(極美慎さん)の言った通りだ。「やり直したって同じだ」。彼らは何度も戦い、傷付き、地下牢に閉じ込められ、愛を確かめ合って、そして死んでいく。こんなにも胸に突き刺さる作品とはここ最近出会えていなかったから、かなりの衝撃だった。

せめて、せめて船さえあれば良かったのに。私はいつまでもこの作品への想いをこじらせ続けるだろう。