推し活

昔は「オタク」という言葉で括られ、どこか暗くネガティブなイメージを持たれがちだった私たち。しかし、「推し活」という言葉が現れてから明るく楽しいイメージが強くなり、そのお陰で自分の推しているものを堂々と宣言する人が増え、世の中にはこんなにもオタクがいたのだなあと嬉しい気持ちでいる。かくいう私も宝塚歌劇団に推し(宝塚ファンの中では“推し”ではなく“贔屓”と呼ぶのが一般的なのだが)がいて、推し活をしている。推しの出演している作品が上演されている期間は毎週のように劇場へ足を運んで同じ作品を何十回と観劇したり、Blu-rayを何度も観てセリフまで諳んじられるようになった作品を飽きもせずに再生したり。お金はかかるし苦しいと感じることもあるけれど、頑張っている誰かを応援するって気持ちが良い。推している彼女のため、というより完全に自分のため。生きる活力を得るために推し活をしている。

昨年12月に祖母が亡くなった。卒寿のお祝いをしたあたりから年齢が曖昧になっていたのだけど、享年96歳。大往生だ。幼い頃、毎年お正月や夏休みに祖母の家へ遊びに行くと、二世帯住宅で一緒に住んでいる従姉妹家族とともにあたたかく迎えてくれて、けれど会う頻度が半年に一度くらいなものだからなぜか毎回緊張し、いつもなんとなく余所余所しい態度をとってしまっていたことを今でも覚えている。1時間程で行ける所に住んでいていつでも会いに行けたのに、だからこそ「いつでも会える」と甘えてあまり会いに行かなかったことを今になって後悔する時もある。コロナ禍もあって亡くなる前の数年は会うことも出来ず、久しぶりに再会した時には祖母は棺の中だった。

遺影の祖母も、棺の中の祖母も、私の思い出の中の祖母とは似ても似つかぬほど、痩せて小さくなってしまっていた。あぁ、会わないうちに知らない人みたいになっちゃったなあ、などと思いながら、親族一同で祖母に死に装束を着せ、思い出の品などを棺に納める。祖母への手紙、お気に入りだったおせんべい、いつもかけていたストール、そして。祖母と一緒に住んでいた叔母が、おもむろに一枚の紙を取り出したのである。A4サイズに大きく写真が載っている。写っているのは男性だが、先に亡くなった祖父ではなさそうだ。え、どういうこと?その人誰?おばあちゃんの棺に一緒に入って一緒に燃やされるほどの仲なの?誰?厳かな雰囲気の中そんな言葉を発することが出来るはずもなく、存じ上げない男性の写真がそっと祖母の胸元に置かれ、静かに棺の蓋が閉じられた。

あの男性は一体誰だったのか。芸能人かな、とも思ったけれど、私はいまだかつて祖母が芸能人にハマっている姿を見たことがなかった。好きだったのはドラマ「相棒」くらいだが、あの写真はどう見ても右京さんではなかった。では一体誰。ぐるぐると考えを巡らせていると、叔母が他の親族と話している声が聞こえてきた。

「お母さん、演歌歌手の福田こうへいさんにハマっててね…毎日のようにコンサートのDVDを流してたわ」

なんと!!!祖母、96歳にして推しがいた!!!!

葬儀の場で不謹慎この上ないけれど、笑いがこみあげてくるほどの衝撃と喜びだった。いつだってどこか遠く感じていた祖母との心の距離が、一気に近づいた気がした。血は争えない。何度も観たDVDを飽きもせず今日も再生する。私と同じじゃないか。そしてこの推し活こそが、祖母がこれだけ長生きできた理由なのかもしれない。生きる活力。それこそが推し活。

火葬炉に吸い込まれていく棺を見ながら、どうか天国でも推しを見つけてエンジョイしてくれよな、と手を合わせた。

日常

Posted by malchan