ディミトリという花~2022年星組公演「ディミトリ~曙光に散る、紫の花~」~
大劇場公演初日を観劇するのは初めてだった。初めて作品が花開く日。期待に胸を膨らませて観た舞台は、期待をはるかに超えていた。音楽、台詞、お衣裳、そして物語、どれをとってもとにかく美しく、原作のやわらかくやさしい空気をそのままに、宝塚らしい要素も散りばめられたとても素晴らしい作品。星組さんの公演は毎回“過去最高”を更新していくからすごい。
ジョージアの王女・ルスダン(舞空瞳さん)と、名目上友好の証としてジョージアに預けられたルーム・セルジュークの王子・ディミトリ(礼真琴さん)。生涯でたった一人、ルスダンだけを愛して生き抜いたディミトリという青年の物語は、彼のやさしさで色づき、やわらかく綻んで静かに散っていくような印象がある。何があろうとも、ルスダン、そしてジョージアの為に生きた人。そんな彼にとって、先王ギオルギ(綺城ひか理さん)から投げかけられた「勇気」という言葉の意味は、一体何だったんだろう。
演じている礼さんがプログラムのコメントで仰っているように、ディミトリは「自分の意思で動くことを許されない」存在である。「友好の証」としながらその実「人質」としてジョージアに預けられ、自由はなく、望みを口に出すことも許されず、いつも誰かに見張られているような息苦しさを感じている彼が、自由奔放で明るく愛らしいルスダンに恋をするのは当然のことのように思う。(原作ではギオルギが「ルスダンは、私の自由そのものだ」と言っているけれど、これはディミトリにとってもそうだったではないだろうか。)けれど、その恋心を口に出すことなど許されない。このまま永遠にルスダンへの想いは心に秘めたままでいるはずだったのに。ギオルギが戦場で負傷し亡くなったことで、ディミトリは期せずしてルスダンと結婚することとなり、王配の座に就くことになる。密かに望んでいたことが叶った代償に自分だけでなくルスダンやジョージアにとってかけがえのない人の命を失った。ディミトリは苦悩の中で、ルスダンを支えることに命を懸ける決心をする。
これまでのディミトリは、意志表示を許されていなかったからこそ、誰かにその運命を委ねてきた。父親に言われるままにジョージアの人質となり、先王に言われるままにジョージアの王配となった。そんな彼が初めて自分の意思で決めたのが、「ルスダンを支え、ジョージアを守ること」だった。愛するものを守る。ただ一つ、そのことだけが彼を突き動かしていた。生前のギオルギが彼に遺した「愛しているからこそ、離れて生きる道もある」という旨の言葉を彼は深く理解していた。だからこそ、その言葉を理解出来ていなかったルスダンに誤解を与え、反逆者として幽閉されていたところを敵国ホラズムの帝王・ジャラルッディーン(瀬央ゆりあさん)に助けられ、結果的にルスダンとは対立する立場となる。ただ、そんな状況でもやはり、ディミトリはルスダンへの愛、そしてジョージアという国への愛を貫くのだ。彼のとった行動はジャラルッディーンへの明確な裏切りであり、ホラズムでは裏切りは死を意味する。もちろんジョージアへもルーム・セルジュークへも逃げ帰ることは出来ない。彼は生きる場所を完全に失うのだ。それでもなお、ルスダンにトビリシ奪還の手引きをする。二人で過ごしたあの美しい場所を、人生の中で最も幸福だった時を、愛するルスダンの手に取り戻すために。
ディミトリが伝書鳩を飛ばす姿を見咎めたアン・ナサウィー(天華えまさん)がジャラルッディーンにその事を報告している時、ディミトリはとても悲しそうな顔をしていた。自分はもう、「ジョージアの王配・ディミトリ」でも「ホラズムの帝王に仕えるルーム・セルジュークの王子」でもない。ナサウィーの報告により、分かっていたはずの事実を突きつけられる。毒の入った水を煽って自供し、死を迎えるその瞬間、「ディミトリ…ルーム・セルジュークの王子…もうどちらでもない…」と零す彼に、ジャラルッディーンはこう声をかける。「ジョージアの王配だ。」これまでずっと彼を“ルーム・セルジュークの王子”として扱ってきたジャラルッディーンが、死を目前に何者でもなくなってしまった彼を「王配」と呼び、彼が最も愛着を持っているであろう「ディミトリ」として死ぬことを認め、見届けてくれる。それは、生きる場所を失いながらなおもホラズムの帝王として戦い続けるジャラルッディーンだからこそ出来たことなのだろう。自分の根っこはどこにあり、自分は何者なのか。ディミトリとジャラルッディーンは“根を張る場所を失った者”同士、言葉にしなくても通じ合える部分があったのかもしれない。
ディミトリにとって、「勇気」とはなんだったんだろう。私はそれを、彼の中で夜明け色に咲き続ける「ギオルギとルスダンへの愛」であると思った。ギオルギへの敬愛、そしてルスダンへの深愛。彼の心に根を張り咲き続ける二人への愛こそ、彼の「勇気」だったのかもしれない。
彼は勇気をもって希望を遺し、静かに散っていった。ディミトリという花が散る瞬間は、哀しく美しく、そしてやっぱりやさしかった。