奇跡の東京特別公演~2011年宙組公演「ヴァレンチノ」~

客席に足を踏み入れた瞬間のあの空気を、今でも鮮明に覚えている。言葉にするのは難しいのだけれど、暗く淀んでいるのに、高揚感も混じっているような、不思議な空気。後にも先にも、あんな空気の中で宝塚の公演を見たことはない。

晴れて東京特別公演「ヴァレンチノ」の初日の幕が上がり、私は待ちに待った観劇日を迎えた。この公演が特別なものになることは、間違いなかった。それは、劇場内の空気が物語っていた。

この作品は、主人公ルディが、夢を掴むためにイタリアからアメリカへやってくるシーンから始まる。希望に胸を膨らませ、いつかはイタリアから母を呼び寄せようと、目をキラキラさせながらルディが歌う「アランチャ」。この曲の時、オレンジの香りがほのかにした、ような気がする。

明るい未来を想起させるプロローグ。しかし、物語で描かれるのは彼の“ルドルフ・ヴァレンチノ”としての栄光だけではない。役者としての人気を勝ち取った直後に訪れる母の死、そして衣装デザイナー・ナターシャとの結婚によって、少しずつ狂っていく歯車。悲壮なクライマックスに向け、物語は加速していく。

この作品で何が凄いって、出演者全員の演技力なのだけれども、その中でも心臓を鷲掴みにしてガンガンに揺さぶってくるのが、シナリオライター・ジューン役の野々すみ花さんである。纏っている空気や視線の中に、ルディに対する恋心とそれを叶えることの出来ない悲しみがある。一度は完全に離れ、しかし再会し、遂に結ばれるルディとジューン。後で連絡するよ。ギャングとのいざこざでボロボロの身体でありながら笑顔でルディが言ったその言葉を、ジューンは大切に大切に胸に抱いて家へ帰る。恋が叶った喜びに満ち、幸せの絶頂である。タイプライターの上で踊る指。連載中の恋愛小説を書く彼女はご機嫌だった。しかし、ラジオから聞こえたニュースで、ルディが病院に運ばれ、楽観できない容態であることを知る。そして鳴り出す電話のベル。「今ニュースで聞いたわ、病院へ―――。」その電話は、ルディの訃報を知らせるものだった。

電話を取った時、客席に見えていたのはすみ花さんの後ろ姿だった。その後ろ姿だけで、彼女は全てを表現していたのである。ルディを失った絶望感、訃報の衝撃、恋が消えた悲しみ、もうルディの笑顔を見ることができないという喪失感…

男役は背中で語る、なんて言うけれど、それをやってのける娘役、それがすみ花さんだった。あの背中に、どれだけ心を締め付けられたか。今でも、脳裏に焼き付いて離れない。

悲しい結末を迎えたこの物語も、最後に救いがあるから、とても好きだ。エピローグともいえる場面で、ルディとジューンの盟友、ジョージがこのように語る。「私はこの、ジューンの遺品のタイプライターで、回想録を書こうと思う。」そしてラストは、ルディとジューンの出会いのシーンで幕を閉じる。まるで回想録の始まりのように。二人は笑顔だ。そのラストシーンに、とても救われた。

命を失ったとしても、語り継ぐ人がいる限り、人の心に生き続ける。それは、ルディやジューンだけではなく、震災で亡くなった方たちにも言えることなのではないか。そんな風に思ったら、余計に救われたし、涙が止まらなかった。

震災から10年経っても、癒されない傷を抱えて生きている人はたくさんいるのだと思う。私も未だに、津波の映像を見ることが出来ない。でも、それで良いのかもしれない。時に逃げたり、目を逸らしたりしながらも、忘れたい記憶と上手に共存していく。

あの日の記憶が、いつか役に立つ時がきっと来るから。