グレブ・ヴァガノフという男~2021年宙組公演「アナスタシア」~

みんな大好き、“冗談をやったりもする男”グレブ・ヴァガノフさん。私はこのアナスタシアという作品で、自分でも引くくらいグレブさんに感情移入し、実際友人からも引かれた。悲しい。

グレブさんの生きづらそうな感じにシンパシーを感じる。分かる、分かるよ君の気持ち…。

彼もまたディミトリと同様、完全に悪い奴ではない。アーニャに対してちょっと積極的で、自分を頼ってくれないアーニャを思いながら、「俺なら守れる、どうして拒む」とか歌っちゃうだけ。そういうとこだぞ。あとヴラドとリリーがいちゃこらしてるところを激渋な顔で見てるのが最高。

話は逸れたが、グレブさんの生きづらさを生み出しているのは「亡くなった父親」である。ロマノフ家粛清の後、「己を蔑んで死んだ」父。BW版のネヴァ河リプライズで「I’m my father’s son!!」と激昂するグレブがとても印象的だった。それくらい、彼は“父親の誇り”という呪縛にがんじがらめになっていた訳だし、その後のグレブの行動から見ても、父の死の理由は「アナスタシアを取り逃がしたから」だと思っていた。ただ、2度目の観劇の際、ふと思ったのだ。「もしかして違うんじゃない?」

パリでアーニャと対峙した時、「子供をが叫ぶ、惨い仕事も父は果たした」とグレブは歌っていた。この歌詞には、グレブの葛藤が滲み出ている。

「父の誇りを信じ、ボリシェビキとしての使命を全うしようとするグレブ」VS「アーニャに一目惚れし、なぜなんの罪もない彼女が殺されねばならないのかと疑問を抱くグレブ」。アーニャに銃口を向けながらも、心の中では二人のグレブがバチバチのバトルを繰り広げている。「春は近い」「革命に感情はいらない」。完全に自分に言い聞かせている。辛い。私は嗚咽を堪えるのに必死である。

そして一目惚れの方のグレブが勝つ。故にアーニャを撃つことが出来ずに、彼は蹲り、絞り出すように言うのだ。「出来ない…」

私だったらこの瞬間にグレブさんを抱きしめる。大きい身体をそんな風に縮めて自分を責めるなよ。こっちが悲しくなるじゃあないか。あとアナスタシアの「あなたは悪くない」は相当な追い打ちだと思うんだけどどう?

…話は逸れたが、結果的にグレブは「父の息子」にはなれなかった、と思っている。でも、本当にそうなのか?

「子供が叫ぶ、惨い仕事」と聞いて、グレブにはその仕打ちをした父を咎める気持ちが少なからずあるのだろうと推察した。では、彼の父は?自分の息子より幼い子まで殺さねばならないことを、革命の為、という言葉だけで、何も感じず遂行できたのだろうか?

そう思った時、「グレブの父」は全く違う輪郭を帯び始めたのだ。彼が恥じたのはアナスタシアを取り逃がしたことじゃない。大義名分の為に子供まで殺してしまったことを恥じたのではないか、と。そうであってほしい、という願いのようなものかもしれないけれど。私はこの説を強く推したい。

グレブのやさしさと責任感の強さは父親譲りなのかもしれない。そして彼は、アーニャを逃がすことで「父の息子」になれたのだと思う。その可能性にグレブが気づいてくれることを切に願っている。ミスターネヴァ河、あなたはとても素敵な男だ。どうか新体制のロシアで、幸せに暮らしてください。