星組の象徴・舞空瞳~2023年星組公演「ME AND MY GIRL」~

トップ娘役とは。シンデレラや白雪姫のように、王子様であるトップスターにそっと寄り添い、傍らで可憐に微笑む花のような人。ずっとずっと、そう聞かされてきた。しかし、そんな固定観念が、崩れようとしている。舞空瞳というドデカいお星さまが、その固定観念というやつをコテンパンにしているのだ。

星組トップスター・礼真琴さんが長期休養中の今、博多座では専科の水美舞斗さん・星組の暁千星さんが役替わり主演で「ME AND MY GIRL」を上演中である。舞空さんが演じるのは、主人公・ビルの恋人であるサリー・スミス。いわゆる“宝塚の娘役”のイメージからは程遠い、下町育ちの、いささか上品さに欠ける女の子である。けれど可愛い。とにかく可愛い。舞空さんご自身が持つ可愛らしさが余すところなくダダ漏れである。大っきな笑顔を振りまく姿がとんでもなく可愛い。そして何より、サリーの健気さが胸を打つ。伯爵家の世継ぎとして教育を受けることになったビルに対し、始めは文句を言っていたサリーも、伯爵家の人間として成長していく彼の姿を見て、次第に「自分がいなくなった方がビルにとって幸せなのでは」と思いを巡らせ、彼のそばから立ち去る決心をする。どこか、「物分かりの良い女でいなくてはいけない」という固定観念に閉じ込められているようなサリーの姿に思わず涙が零れる。一幕の終盤、「そこにいるだけでグッと落ち着けるランベスに帰るよ!」とビルに宣言した後の彼女の笑顔にどうしようもなく苦しくなる。笑っているのに泣いているような顔。寂しいも悲しいも惨めも全部強がりで覆い隠した痛みを伴う笑顔。「ランベス・ウォーク」というこの上なく楽しい曲が始まる前の、胸が軋むような一瞬。緩急がエグい。

女性は“弁えること”を強いられる。時代と共に薄れてきたとはいえ、未だに女性が前に出るようなことがあれば「身の程を知れ」と後ろ指を指す人間が確かに存在する。これは「娘役」という存在にも当てはまることなのではないだろうか。彼女たちは決まって「男役さんがいてくださるから」「男役さんが素敵に見えるように」と言う。あくまでも主体は男役さん。男役さんを立ててこそ。娘役さんだって、とっても魅力的で実力もあって、真ん中に立つにふさわしい人がたくさんいるのになあ。それが宝塚の通念であり娘役の美学であると言われればそれまでだけれど、私はそれをとても寂しく思っていた。

断っておくと、決して舞空さんが自分の存在を誇示しているということではない。けれど、彼女は間違いなく「今の星組の象徴」である。何が起きようと、どんな苦境に立たされようと、決して揺るがずそこに立つ。寄り添うだけじゃなく、自分の力で立つことも出来る強さと実力を持ったトップ娘役。いつの時代も、組の象徴はトップスター、つまり男役さんだったように思う。そんなトップスターが休演した時も、休養で不在にしている今も、舞空さんがそこにいるだけで、「礼真琴・舞空瞳の星組」なのだ。今回の「ME AND MY GIRL」のフィナーレでは、主演の二人も着ていないような、総スパンでギラギラの一番輝くお衣装をたった一人、舞空さんだけが着ていたり、デュエットダンスが始まる前に一人で踊る場面があったり、舞空さんが「星組をトップとして率いている」姿に涙が止まらなかった。淡いブルーに繊細なレースがあしらわれた美しいドレスを着た舞空さんにスポットライトが当たった瞬間、私は今この時代の星組を愛することが出来る幸せを嚙み締めた。

我らが星組のプリンセスが持つ性質は、シンデレラや白雪姫だけではない。モアナでもあるのだ。可憐に微笑みそっと寄り添いながらも、時には荒波に立ち向かい力強く進んでいく。恐ろしく魅力的なハイブリッドプリンセス。水美さん・暁さんのお隣を経験した彼女が、次の作品で礼さんのお隣に帰った時、一体どんな表情を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。