天華えまさんのカミーユ・デムーラン~2023年星組公演「1789―バスティーユの恋人たち―」~
元々演じられていたジョルジュ・ジャック・ダントンの役作りのお話をご本人の口から聞いたばかりだった。ダントンの役作りについて、「掴むのに時間がかかった」と話していた天華えまさんは、それでも素晴らしいダントン像を作り上げ、舞台の上でエネルギーを漲らせて生きていた。その姿が大好きで、公演が千秋楽を迎えればダントンとお別れしなくてはならないことを思うと、寂しくてたまらなかった。
礼真琴さん休演に伴い暁千星さんが主人公・ロナンの代役に決定したことを受け、暁さんの代役として天華さんがカミーユ・デムーランを演じると決まった時、正直ものすごく複雑な気持ちだった。もしかしたら、そんな覚悟もないままにダントンとお別れになってしまったかもしれないなんて。ガハハと豪快に笑い人々を明るく鼓舞するあのダントンとはもう会えないかもしれない。それはそれは寂しいことだった。けれど、実際に天華さんが演じるデムーランを見たら、暁さんの演技をなぞることはしない、「天華えまのカミーユ・デムーラン」を確立されていて、感動で号泣してしまった。あぁ、本当になんて素晴らしい役者さんなんだろう。
裕福な家に生まれ、きちんとした教育を受け、衣食住満ち足りた生活をしてきたノーブルな青年。まるで悪意に触れたことなどないとでもいうような純粋さで、決して強くはない心を奮い立たせて人々を先導する姿が印象的だ。彼のテーマ曲ともいえる「武器をとれ」は、暁さんと天華さんで全く表現が違っている。暁さんの場合、武器をとり戦うことでそこにいる市民の大半が死んでしまうかもしれなくても、そのもっと先、自由を勝ち取った日を見据えて、覚悟を持って人々を先導している。彼には輝かしい未来を信じる強さ、そして純粋さと骨太な男らしさもあり、皆を引っ張っていく統率力もある。しかし、天華さんの場合、歌の前の「我々に残された道はただ一つ。武器を手にすることだ」という台詞からその繊細さが際立つ。この台詞こそ、市民が死地に赴くことを決定づけるものだが、天華さんデムーランはこれを言った後、一瞬泣きそうに顔を歪めるのである。自分の言葉が彼ら彼女らの命をいたずらに危険に晒してしまうかもしれない。彼が見ているのはずっと先の未来ではなく、今目の前にいる人々なのだ。彼らを守りたい。だからこそ、「武器をとり立ち上がれ」「救うのは我々だ」「この世界を手に入れよう」「新しい時代は我らのもの」と歌いながら、市民たちだけでなく自分をも奮い立たせていく。この場面、本当に胸を打たれた。市民たちのエネルギーがデムーランに向かって集まっていく感じもとても良い。純粋で繊細で、あたたかくて優しい人だから、周りの人々は彼を信頼し、彼の元に大きなエネルギーが集まってくる。舞台人として、自分の責務をしっかりと確実に果たすと同時に、周りに寄りかかったり甘えたりすることも出来るバランス感覚の良い天華さんだからこそ、こういった役作りが出来たのかもしれない。
表現の繊細さも好きだ。印刷所の場面、「可哀想に、同情しているよ」「僕は君を兄弟のように迎えてやったつもりだ」言葉の内容はどう考えても貧しい人たちを見下しているようなのに、あたたかみと優しさしかない声色で、だからこそ余計にロナンは反発してしまうのではないだろうか。怒りを露わにするロナンに「お前と俺が兄弟だなんて誰が信じる 言葉の上だけ」と言われた瞬間、デムーランは「そんな…」と傷付き、なおも自分たちを糾弾するロナンに対して何かを言おうとするも、「なっ……なっ……」と上手く言葉を紡げない。その姿を見た瞬間、あぁ、だから彼は記事を書いているのだなあと妙に納得してしまった。ロナンのように憤りをそのまま吐き出すことの出来ない彼は、言葉を紡ぐのに時間がかかるタイプの人間なのだ。たった一瞬の表現でその役に奥行を与える。天華さんの真骨頂を見たように思う。
心底ダントンを好きではあるが、元々代役稽古はしていたとしても、これだけのクオリティの別の役を提示されてしまうともう、感動でしかない。どんな状況でも置かれた場所で大輪の花を咲かせることの出来る贔屓を心から尊敬しているし、誇らしくもある。礼真琴さんの復帰が決まり、再び大好きなダントンに会えることが本当に本当に嬉しいのだけれど、結局どんなお役であっても、天華さんのお芝居を見られるということが私にとってこの上ない幸せだと感じた。
天華さんのファンになって良かった!!!!